群像小説ぜんぶ読む

古今東西の群像小説をぜんぶ読みます。群像小説以外の気になった作品を紹介することもあります。群像小説以外の気になった作品以外の普通の記事も投稿します。

1冊目:伊坂幸太郎『ラッシュライフ』

ラッシュライフ (新潮文庫)

ラッシュライフ (新潮文庫)

  • 作者:伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/04/24
  • メディア: 文庫

紹介

泥棒を生業とする男は新たなカモを物色する。父に自殺された青年は神に憧れる。女性カウンセラーは不倫相手との再婚を企む。職を失い家族に見捨てられた男は野良犬を拾う。幕間には歩くバラバラ死体登場――。並走する四つの物語、交錯する十以上の人生、その果てに待つ意外な未来。不思議な人物、機知に富む会話、先の読めない展開。巧緻な騙し絵のごとき現代の寓話の幕が、今あがる。


2019年が終わろうとしていることとは一切関係ないが、ブログを書くことにした。


「群像小説ぜんぶ読む」記念すべき1冊目は、伊坂幸太郎ラッシュライフ』だ。
私が群像小説にはまるきっかけとなった1冊である。
群像小説ランキングをつくるとすれば、ダントツの1位。群像小説だと認識して読んだ初めての作品でもある。
そのため、名実ともに「1冊目」になるが、2冊目以降は読了順やオススメ順とは一切関係なく、純粋なる順不同(純順不同)であることを明記しておく。


そもそも『ラッシュライフ』を読むきっかけが特殊だった。
大学教授の特別講義を受ける機会があり、そこで取り上げられたのが『ラッシュライフ』。群像小説の群像たる部分が詳らかに解説された。
群像小説という時点で、どこかで何かがつながることは自明であるため、「つながること」自体を明かされても何も問題はない。
つながると理解したうえで、実際につながったときに驚く。それこそが群像小説を読む楽しみだ。


しかし、その講義は事情が違った。
「どこで何がつながるか」まで明確に、親切丁寧な表を交えて明かされたのだ。
ネタバレ断固反対の皆様におかれましては、そのような仕打ちを断じて許せないだろう。
それだけで読む気を削がれてもおかしくない。


幸いなことに、私はネタバレをさほど気にしないうえに、たいして真面目に話を聞いていなかった。
綺麗にまとまった表を見て、「こんなに計算しつくされた小説があるのか!」と感動を覚え、すぐに読んだ。


こんなふうに、私と『ラッシュライフ』との出会いは半ば強引だったが、本ブログではネタバレ断固反対の皆様にも配慮をするのでご安心を。


さて、あらすじにもあるとおり、『ラッシュライフ』は4人の物語が並走する、雷型の群像小説だ。
(雷型については、「0冊目:群像小説ぜんぶ読む」を参照のこと)
overshow.hatenablog.com


1冊目なので再度説明しておこう。
雷型は視点人物の物語がいくつかに分けられ、少しずつ進んでいく。
仮にA、B、Cの3人が視点人物だとすれば、A①→B①→C①→A②→B②→C②→A③…と進んでいく。
当然だが、視点人物は少ないほどわかりやすく、多いほど複雑になる。
余談だが、初めて群像小説に触れた若き日の私は、何度もページを戻るというこれまでにない読書体験をした。指が足りなくなるところだった。
4人分の物語を憶えていられずに、途中で投げ出してしまうこともあるだろう。


ちょっと待ってほしい。
各視点人物の物語がつながる快感を待たずして、諦めてしまうのはなんとももったいない。


その点、伊坂幸太郎は親切だ。

「あれ、そんなの書いてあったっけ?」と前のページまで戻って確認しなければならないトリックって、僕は読者として苦手なんですね。だから、ページを前まで戻らなくてもいいように、電車の中とか休憩時間とかの合間にバーッと読んでいるというぐらいの集中の度合いであっても分かるように、大事なシーンは印象づけておこうという気持ちはいつも持っています。伏線をくっきりと印象づけるものにしたり、記憶に残るものにしたりするほど、ここは伏線なんだよなとバレてしまう危険性は増えますけど、でも、だからと言って分かりにくくしちゃったら意味がない、と僕は考えています。(『文藝別冊 総特集 伊坂幸太郎』)


伊坂幸太郎は、読者が憶えておくべき伏線を、強調して書いてくれる。
本人は「ここは伏線なんだよなとバレてしまう危険性は増えますけど」と語る。
一般的に、伏線は気づかれないほど良いとされ、明かした際の驚きが大きいほど良いとされる。


とんだ矛盾である。
この相反するふたつのバランス感覚に優れた作家・伊坂幸太郎が描く群像小説『ラッシュライフ』は圧巻だ。


本を読んで気持ちよくなりたければ、今すぐ読んでほしい。
季節がら、こたつで寝転がりながら読めば、もっと気持ちいい。


次回予告

2冊目:芥川龍之介『藪の中』

藪の中 (講談社文庫)

藪の中 (講談社文庫)


解説

※※以下、ネタバレを含みます※※


「解説」なんて仰々しいネーミングだが、1冊目なので手探りで進めていく。


さて、人に本を薦めるとき、いちばん留意しなければいけないことはネタバレだろう。
ネタバレは、言いかえれば、「その本を読んで驚いたポイント」だと思う。
現在映画が絶賛公開中の某ミステリ小説を例に挙げれば、「ストーリーとしてのネタバレ」「設定(構造)としてのネタバレ」の2点を、読者が非常に慎重に扱っていた印象がある(それは映画の宣伝でも顕著だった)。
つまり、この2点において驚きを伴う作品だったということだ。


ラッシュライフ』も「設定(構造)としてのネタバレ」を慎重に扱うべき作品だ。
簡単に言ってしまえば、「4人の視点人物が別の日を過ごしている」ことが、『ラッシュライフ』のキーになっている。
しかし、読者は「4人の視点人物が同じ日を過ごしている」と誤認してしまう。


何故そのような誤認が起きるのかといえば、「同日の出来事だと思わせるテクニック」が用いられているからだ。
以下、引用は全て新潮文庫版による。

「私は、今、この瞬間、別の場所で同時に生きている誰よりも、豊かな人生を送っている。(中略)馬鹿な失業者はもちろんのこと、自分ではうまくやっていると勘違いしている泥棒や宗教家、とにかく、今、この瞬間に生きている誰よりも私は豊かに生きている」(p.14)


これが冒頭から飛び出す。強調されているのは「今、この瞬間」。
この時点で既に時間軸がズレているにも関わらず、「同日の出来事」であると錯覚してしまう。
さらに、この台詞が終わると同時に場面が転換し、「黒澤」パートが始まる。黒澤が泥棒であることは言わずもがなで、「自分ではうまくやっていると勘違いしている泥棒」が効果的に作用していることがわかる。
「馬鹿な失業者」や「宗教家」が誰を指すのかも、明白だ。


他にも、「プラカードを持った白人女性」や「『何か特別な日に』の展望台とエッシャー展」も同じ役割を果たしている。


では初読で、時間軸がズレた構造に気づくことは可能なのだろうか。
実は「プラカードを持った白人女性」の髪型が唯一の手がかりとなっている。
順番に見ていく。


「黒澤」パート

金髪をポニーテールにした若い女性だ。(pp.18-19)


「河原崎」パート

ポニーテールの白人女性は美しかった。(p.35)


「京子」パート

髪を真っ直ぐに垂らし、それが似合っている。(p.88)


「黒澤」パート、「河原崎」パートと、「京子」パートで髪型が変わっているのだ。
無論、一日中同じ髪型でいないといけない決まりなどない。
しかし、叙述だけが手がかりとなる小説において無意味な違和感は避けるべきで、ここを突破口にするしかない。
なお、「豊田」パートでは、白人女性と2回出会うが、1回目は髪型への言及がない。2回目は物語の最終盤で、これ見よがしに髪型の記述があり、読者は地団駄を踏むことになる。


「豊田」パート

結んだ後ろ髪も似合っていて可愛らしい。(p.450)


一方で、あたかも構造を示唆するかのような、メタ的な台詞が散りばめられている。
あまりにも数が多く、終盤にかけては構造に気づかせるためにさらに数が多くなる。
いくつかあからさまなものを抜粋する。

「こんな単純な話だって、ちょっと軸をいじられると訳が分からなくなっちまうだろう?」(p.83)

「バラバラ」と「くっつく」は何の暗喩だろう。(p.96)

戻って、落ち着いて確認すれば、案外と大したことではないものなのよ。(p.387)


個人的には、某パートの主人公が「話を取り違えないでください」と言われる台詞がお気に入りだ。どのシーンかは探してみてほしい。


ラッシュライフ』を初めて読んだときの衝撃は、もう体験することはできない。
一方で、読むたびに新しい発見を楽しむこともできている。


今回提示したものは、基本的な構造だけだ。
他にも語りたいことはたくさんあるが、それに気づいたときの驚きを楽しんでもらうためにも取っておきたい。


繰り返しになるが、本ブログではネタバレ断固反対の皆様にも配慮をするのでご安心を。