0冊目:群像小説ぜんぶ読む
「群像小説」について
「群像劇」という名称をご存知だろうか。
映画『グランド・ホテル』で効果的に用いられたことから、「グランドホテル方式」と呼ばれることもある。
鹿島茂氏によると、「グランドホテル方式」は以下のように定義される。
ホテルのような一つの大きな場所に様々な人生模様をもった人たちが集まって、そこからストーリーが紡ぎ出されるというスタイル*1
映画から名前が取られていることからもわかるように、カメラによる俯瞰が容易である映画が得意とする手法だ。
しかし、映画に限らず、小説や漫画、ゲーム、演劇においても、「群像劇」は数多くつくられている。
鹿島氏の説を踏まえて、「群像劇」を含む小説=「群像小説」を、本ブログでは以下に定義したい。
①3人以上の登場人物の視点で描かれる。
②各視点人物が持つ物語が描かれる。
③全体の構造を把握可能なのは「神の視点」を持つ作者(およびそれに該当する登場人物)と読者のみ。
定義があれば、それに付随した定理も生まれる。
①主人公をひとりに特定できない。(「事件」や「場所」が主人公になる場合もある)
②ひとりの視点人物のパートを連続して読んでも物語が成立する。
③バラバラな物語がつながる快感を得られる。
上記3点(+3点)をすべて満たした作品を、本ブログでは「群像小説」と呼ぶ。
そのため、複数の登場人物に物語がある場合でも、視点人物がひとりに固定(主人公化)されているものは「群像小説」と呼ばない。(例:主人公による友人のエピソードトークなど)
同様に、物語を補強するために、一時的に視点人物が増えるものも「群像小説」ではない。(例:探偵小説における犯人の自供など)
さらに、「群像小説」は「雷型」、「雨型」、「雷雨型」に大別される。
・雷型
各視点人物を短い間隔で行き来する。
視点人物Aの物語が3パートに分かれているとすれば、3パートを通読することで物語が成立する。
頻繁に場面転換が繰り返され、焦らし効果が読む原動力となる。
各視点人物の物語がつながったときの快感は大きいが、 途中で投げ出されるリスクは高い。
「忘れる」→「思い出す」の構造をつくりやすく、伏線の回収が容易である。
終盤は伏線回収ラッシュになりがち。
・雨型
視点人物の異なる連作短編がこれにあたる。
各視点人物の章が独立しているため、1パートだけでも物語が成立する。
その性質上、 短編で新人賞を受賞した作家が書籍化に際し書き足す場合や、読み切り短編が基となっている場合が多い。
各章で世界観や設定の共有が行われる一方、ワンパターンになるケースも多い。
・雷雨型
雷型と雨型のハイブリッド、該当する作品は多くない。
連作短編の形をとっているが、同じ視点人物のパートが2回以上登場するもの。(ひとつの物語を前後半に分けているのではなく、ふたつの物語がある)
参考画像
群像小説の現在地
さて、無事に定義が済んだので、以降は鍵括弧を用いずに群像小説と書くことにする。
一口に群像小説と言っても、その種類は豊富である。容疑者の視点が次々に切り替わる「群像ミステリ」や、甘酸っぱい恋の矢印が縦横無尽に張り巡らされた「青春群像劇」、群雄割拠の時代小説も群像小説になるケースが多い。思い当たる作品のひとつやふたつ、挙げることは造作もないだろう。
ところが、群像小説という独立したジャンルは存在しない。読者の関心は、「群像ミステリ」なら「ミステリ」、「青春群像劇」なら「青春」にあり、多くの場合「群像劇」はおまけにすぎない。
これは由々しき事態である。
今さらだが、こんなブログを開設してしまうくらいだ。私は群像小説が好きだし、願わくば群像小説だけを読んで一生を終えたい。
しかし、現状ではそれは叶わない。繰り返しになるが、群像小説という独立したジャンルは存在しない。「○○社群像文庫」なんてレーベルは存在しないし、「群像新人文学賞」は群像小説を募集しているわけではない。
検索エンジンに【群像小説】と入力すれば、有名作品がいくつか出てくる。便利な時代になったものだ。
いくつか、と書いた。そう、いくつか、しか出てこない。群像小説は世の中に溢れているはずなのに、群像劇に主眼を置いていない作品は、【群像小説】のフィルターに引っかかってこないのだ。これでは群像小説が埋もれてしまう。
喩えるならば、群像劇は米だ。何にでも合う。合ってしまう。カレーライスやカツ丼は美味しいが、米が目当ての人は少ない。
その料理を見れば、米が使われているかは一目瞭然であるように、あまたの小説から群像小説を探すことも特別難しいことではない。あらすじに「群像」と明記されていることもあれば、登場人物名ごとに章立てされていることもある。
ただ、米粉パンという食べ物がある。米粉パンには米が使われているが、米粉パンだと言われなければ、見た目では判別がつかない。日本酒だって米だ。
同じように、何食わぬ顔で小説然と振る舞っているくせに、群像劇が混ぜ込まれているタイプの群像小説もある。それらは一定ページ読んでみてようやく、群像小説だとわかる。
書店に赴き、あらすじと目次を1冊ずつ確認するのならまだ良い。それに加えて、それぞれ数十ページ読み、群像小説か否か確かめる労力はさすがに避けたい。ましてや群像小説っぽいという理由だけでの購入はリスクが大きい(今しがた、群像小説っぽい新刊に一目惚れして購入したので説得力がない)。
群像小説ぜんぶ読む
驚くことなかれ。ここまで前置きである。
名は体を表すとはよく言ったものだ。タイトルにも書いてあるとおり、群像小説をぜんぶ読みたい。ぜんぶが無理なら、可能な限りたくさん。
幸いなことに、群像小説大好きアピールをし続けた結果、友人たちの協力により、たくさんの作品を教えてもらうことができた。集合知万歳。
ただ、数が限られている以上、いつかは読破してしまう日が訪れるだろう。そうなる前に、読みきれないほどの群像小説を知る必要がある。
ここからはお願いになるので口調が丁寧になります。
ブログの仕組みがわからないが、コメント機能のようなもので、新しい群像小説を教えていただければ幸いです。あらすじでは判断できないものだともっと嬉しいです。
よろしくお願いします。
※9/16追記
Twitterと連携した「お題箱」に募集用のフォームを作成しました。
https://odaibako.net/u/over_x_show
元に戻る。
今回の記事は便宜上「0冊目」としたが、「1冊目」以降は読了した群像小説のレビューになる。どういう形にするかは目下検討中だが、以下のような構成を考えている。
・未読者向けの紹介(ネタバレ無)
・次回予告
※※以下、ネタバレを含みます※※ 系の文言
・既読者向けの解説(ネタバレ有)
群像小説好きがひとりでも増えることを願いつつ、群像小説を1冊でも多く読めるように。
そんなブログになればいいな。
次回予告
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