群像小説ぜんぶ読む

古今東西の群像小説をぜんぶ読みます。群像小説以外の気になった作品を紹介することもあります。群像小説以外の気になった作品以外の普通の記事も投稿します。

それから半年後の世界(伊坂幸太郎「無事故で終われ!」)

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2020年も残り2ヶ月を切った。
よほどの天変地異が起きない限り(起きたら困るが)、2020年は新型コロナウイルスの年として歴史に刻まれることになる。
ウイルス自体の脅威もさることながら、派生した諸問題が私たちの生活を蝕み続けている。
東京五輪は延期となり、イベントは軒並み中止。文化・芸術が受けたダメージはあまりにも深刻だ。


そんな中、伊坂幸太郎がデビュー20周年を迎えた。
4月24日に発売された『逆ソクラテス』は、ロングヒットを記録している。


overshow.hatenablog.com


半年前の自分は、記事を次のように締め括った。

残念ながら、特にこれから読む人にとっては残念だろうが、『逆ソクラテス』を読んでも、このどうしようもない世界はひっくり返ってくれない。
だけど、自分を中心に回るちっぽけな世界は、自分次第でひっくり返すことができる。
単行本のオビには「世界をひっくり返せ!」と書いてある。そう、ひっくり返すのは自分だ。
『逆ソクラテス』は、そういう勇気をくれる作品が集まっている、最高の短編集だ。


やはりというべきか、半年で世界はひっくり返らなかった。
それでも私たちは『逆ソクラテス』に勇気を貰った。


そして、私たちはまた勇気を貰うことになる。


※以下、「無事故で終われ!」のネタバレを含みます。


「無事故で終われ!」には大きな特徴が2つある。
1つは「TAKE FREE」の小冊子であること。
(余談だが、無料配布とはいえこれだけ持って帰るのが忍びなくて、別の本を買ってしまった)
もう1つは物語が分岐することだ。


物語の舞台は「新型ウィルス」の流行から30年後の世界。
分岐後の世界のうちの片方(B)では、再び「新型ウィルス」のパンデミックが起きている。
一方、もう片方の世界(A)は平和だ。「新型ウィルス」は過去のものとなっている。


AとBを分けたのは、「あみだくじ」。
たったそれだけで、世界は大きく姿を変えた。


思えば、『逆ソクラテス』のオビに書かれていた言葉が、「世界をひっくり返せ!」だった。
あみだくじに、「世界をひっくり返してやろう」という意図はなかったはずなのに、それでも世界は分岐した。


案外、そんなものなのかもしれない。
Aの世界も、Bの世界も、与えられた世界の中で、中野と藤原は必死にしがみついている。
世界をひっくり返せなかったとしても、精一杯もがくしかないのだ。


ところで、「無事故で終われ!」は「大化の改新」の年号の語呂合わせ(645年)がキーワードとなる。
冒頭にこんなフレーズがある。

少なくとも、六四五年は改革が『始まった』年で、『終わった』わけじゃない。

30年後に振り返ったとき、2020年は『始まった』年になるのか、『終わった』年になるのか……。


それがわからない今は、このどうしようもない世界にしがみついて、もがくしかない。
「無事故で終われ!」と祈りながら。

最後の読書会(伊坂幸太郎『ホワイトラビット』)


※本記事は伊坂幸太郎『ホワイトラビット』のネタバレを含みますが、まずは「自分語り」をお届けします。


2020年6月24日、伊坂幸太郎『ホワイトラビット』(新潮文庫)が発売されました。
単行本が発売された17年9月は、私にとっての節目でした。
親元を離れ、ひとり暮らしを始めたのです。
待てど暮らせどひとりきりの部屋には、引っ越しの荷物が散乱し、足の踏み場すらないような状況でした。
座れるだけのスペースを確保して、縮こまるようにして、一心不乱に、取り憑かれたように読んだのが、『ホワイトラビット』です。


『ホワイトラビット』の表紙には、「a night」と書かれています。
表紙の「a+○○」は、新潮社×伊坂幸太郎の定番。物語のことを表しているようでいて、それにしては抽象的な距離感が絶妙です。
『ホワイトラビット』で描かれるのはまさに「ある夜」の出来事。
奇しくも、私が『ホワイトラビット』を読んだのも、そんな「ある夜」のことでした。


単行本の発売から2年9ヶ月の時を経て、『ホワイトラビット』が文庫化。
これは私の一人暮らし歴とも重なるわけです。
この期間にはいろいろなことがありました。10代から20代になり、大学を卒業し、社会人になりました。
忘れてしまったことや、忘れてしまいたいことも多々ありますが、それでもいまだに「ある夜」の衝撃を思い出すことができます。


後述する事情により、今年の2月に『ホワイトラビット』を読み返しました。「ある夜」ほどの衝撃こそなかったものの、細部の巧妙さは何度読んでも薄れることがありません。
とはいえ、これから読む人は、やはりちょっと羨ましいですね。


閑話休題
『ホワイトラビット』は、「このミステリーがすごい!2018」2位、「週刊文春ミステリーベスト10」3位、「本格ミステリ・ベスト10」8位と、各種ミステリ賞においても好成績を収めました。プロ野球選手であれば、来シーズンの年俸をガッポリ貰えるであろう成績です。
ところが、その上をいく三冠王(厳密には「第18回本格ミステリ大賞」も受賞し四冠)のバケモノが立ち塞がりました。
それが、今村昌弘『屍人荘の殺人』です。


『屍人荘の殺人』についての記事はこちら。
overshow.hatenablog.com


上記は、私が所属していたサークルで行った読書会を基に再構築した記事です。
読書会のメインテーマを、「『屍人荘の殺人』はなぜこれほど売れたのか」と設定し、サブテーマとして「籠城(立てこもり)小説」を扱いました。
当初の予定では、「籠城小説」をメインに据えて、『屍人荘の殺人』を副読本のポジションにしていました。しかし、『屍人荘の殺人』が考察ポイントに溢れていたこと、『ホワイトラビット』が文庫化していないこと、を理由に方針転換をしました。


もし私があと1年大学に留まっていたとすれば、このたび文庫化した「『ホワイトラビット』読書会」を開いたことでしょう。
ただ、それも叶わぬ夢なので、2月の読書会では最後に参加者に課題本を与えました。


それが、伊坂幸太郎『ホワイトラビット』。
ということで、以下は『ホワイトラビット』読了後にお読みいただきますよう、お願い申し上げます。
読書会っぽくやります。

1.伊坂幸太郎と籠城ミステリ

思えば、伊坂幸太郎は「籠城もの」をたくさん書いてきました。
『ホワイトラビット』のあとがきでも次のように語っています。

籠城物、人質立てこもり事件の話を今までにいくつか書いてきたので、このあたりでその決定版を(後略)(文庫p.349)

『終末のフール』所収の「籠城のビール」はまさに、ですし、『チルドレン』所収の「バンク」も印象深いですね。
デビュー作『オーデュボンの祈り』も、広義の籠城ものといって良いでしょう。


ところで、「籠城」とは「城にこもり敵と戦うこと」を意味します。そのため、立てこもった後で警察官に包囲されるような場合は、後から敵の存在が発生しているため、厳密には籠城と呼べません。
ただ、そういうのは面倒なのでどちらも籠城としましょう。
籠城ミステリの魅力は、最初から絶体絶命の状況に置かれていることに尽きます。そのピンチをいかにして打開するかが肝になってきます。
そのため、ハウダニット(どうやって打開するか)や、ホワイダニット(なぜ立てこもったのか)と親和性があります。


籠城ミステリの概略はこんな感じです。
それでは、『ホワイトラビット』の話に移りましょう。

2.『ホワイトラビット』徹底解説①〜最初の1段落に全てが詰まっている〜

とりわけ初期の伊坂作品は、村上春樹と重ねて論じられることがしばしばあります。
例えば『アヒルと鴨のコインロッカー』では主人公が書店を襲いますが、これは村上春樹パン屋襲撃」/「パン屋再襲撃」を連想することができます。
また、同作には尻尾の形状から名づけられた「シッポサキマルマリ」なる猫が登場しますが、これは村上春樹ねじまき鳥クロニクル』の、「尻尾の先が少し曲がって折れてる」猫(ワタナベ・ノボル)とも重なります。


このようなモチーフの一致は、鶏が先か卵が先かみたいな話ですが、それ以上に、文体についての指摘が多くあります。

『重力ピエロ』は「村上春樹の文体で書かれたミステリ」などと評されました。伊坂自身がどの程度意識しているかはともかく、ノーブルな、だが常に微温的なアイロニーを備えた彼の文章には、確かに春樹とも相通ずる、他のミステリ作家とはひと味違うテイストがあります。(佐々木敦『ニッポンの文学』)


伊坂自身は次のように語ります。

実は僕は村上さんの作品をそんなに読んだことがないんです。(中略)大江さんの初期の頃の作品とか、明らかに影響を受けている気がしますし。(文藝別冊『総特集 伊坂幸太郎』)


章の頭に「とりわけ初期」と書きましたが、確かに初期の作品は「村上春樹っぽい文体」のように感じられます。
一方で最近の作品に関しては、そういう論調はあまり見かけません。
これは伊坂幸太郎という作家の地位が確立されたことが、大きな要因といえるでしょう。知名度、人気度ともに、押しも押されもせぬ作家になったことで、若手のころにされたような「大御所との比較」をされなくなりました。
むしろ、これから出てくる若手作家が、「伊坂幸太郎っぽい文体」と評される可能性は大いにあるでしょう。


さて、比較がされなくなった今だからこそ、あえて比較をしましょう。
というのも、『ホワイトラビット』の第1段落は、村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の、あのエレベーターの描写を彷彿とさせる「まどろっこしさ」に溢れているのです。


『ホワイトラビット』がこちら。

白兎事件の一ヶ月ほど前、兎田孝則は東京都内で車を停め、空を眺めていた。「白兎事件の一ヶ月ほど前」という言い方は間違っているのかもしれない。その場面は白兎事件の一部で、事件の幕はすでに上がっているとも言えるからだ。ただ、それを言うならそもそも世間で、仙台市で起きたあの一戸建て籠城事件のことを白兎事件と呼ぶ人間など一人もいないのだから、細かいことは気にしないほうがいい。(文庫p.5)

1文ごとに見ていくと、
①提示
②否定
③否定の補足
否定の否定(ただし①提示の肯定にはならない)
となります。4文進んで3文退がっているので、残るのは「①提示」だけです。


続いて、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。

エレベーターはきわめて緩慢な速度で上昇をつづけていた。おそらくエレベーターは上昇していたのだろうと私は思う。しかし正確なところはわからない。あまりにも速度が遅いせいで、方向の感覚というものが消滅してしまったのだ。あるいはそれは下降していたのかもしれないし、あるいはそれは何もしていなかったのかもしれない。ただ前後の状況を考えあわせてみて、エレベーターは上昇しているはずだと私が便宜的に決めただけの話である。ただの推測だ。根拠というほどのものはひとかけらもない。十二階上って三回下り、地球を一周して戻ってきたのかもしれない。それはわからない。
村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』p.11)

同じように見ていくと、
①提示
②提示の補足
③否定
④⑤否定の補足
否定の否定(ただし①提示の肯定にはならない)
⑦⑧否定の否定の補足
⑨例示
⑩例示の否定
となります。10文進んで9文退がる。すごすぎて意味がわからない。
語られるエレベーターと同じように、上っているのか下っているのか(進んでいるのか退がっているのか)わからないように描かれますが、文章自体は確実に1文だけ進んでいます。


こういうまどろっこしい文章を読み解く鍵は、実は「①提示」ではなく、最後に隠されています。
つまり『ホワイトラビット』のキーワードは、「細かいことは気にしないほうがいい」。
それは、「トリックの細かい部分には目を瞑ってね」という意味ではありません。「一言一句、伏線を意識しながら読まなくても大丈夫だよ」という意味です。
読者は、ただページを前に前に、進んでいけば良いのです。


実際に、『ホワイトラビット』の語り手は作者とニアイコールで、読者が読みやすいように(それは騙されやすいように、でもありますが)導いてくれます。
私たちはその流れに逆らうことはできません。
この「陽動システム」こそが、伊坂幸太郎の真骨頂といえます。

3.『ホワイトラビット』徹底解説②〜もはや伝統芸能と化した風呂敷テクニック〜

伊坂幸太郎といえば伏線、伏線といえば伊坂幸太郎、という言葉があります。
嘘です。
でも、あってもおかしくない。


デビュー作の『オーデュボンの祈り』もハイレベルでしたが、2作目の『ラッシュライフ』ですでに高みに到達した感じがあります。
ラッシュライフ』の記事はこちら。
overshow.hatenablog.com


理由は知りませんが、伏線のたとえとして、風呂敷が用いられることが多々あります。「広げすぎ」や「畳めていない」など、ネガティブな言い回しとセットで使われることも。
『ホワイトラビット』でも、風呂敷は「広げすぎ」といえます。はじめからずっと風呂敷を広げまくります。
途中でちらっと畳むこともなく、広げて広げて……そしてある地点に行き当たります。

つまり、今それを落とした男は、読者が見抜いていたように、黒澤にほかならない。(文庫p.237)

黒澤が折尾になりすましていたこと、「本物のオリオオリオ」が亡くなっていることが矢継ぎ早に明かされます。その後もあれよあれよと風呂敷が畳まれていき、気づいたら元に戻っています。


おわかりでしょうか?
あの冒頭の、「4文進んで3文退がる」と同じ構図が、物語全体でも繰り広げられているのです。300ページ強の物語を経ても、何かが大きく変わることはありません。
最後に主要人物の後日談が挿入されることからも、「白兎事件」はあくまで「a night」(=ある夜)の出来事であり、「日常の中の非日常」性が強調されています。


話が戻りますが(風呂敷なので)、「伊坂幸太郎といえば伏線」と知らない人が読んだとき、p.237まで耐えられるのか、という疑問があります。
私自身はもう職業病みたいなもので、「ぜったい何かがある」とワクワクしながら読めるので、200ページくらいどうってことはありません。ただ、「いったい何が起きているんだ?」と思っていたことは事実です。あまりにも風呂敷が畳まれなさすぎて、「おいおい、大丈夫か?」とも思いました。
それでも我慢できたのは作者を信頼しているからで、そうではない人たちが読んだときにどうなるのだろう、と気になります。
いちばん不幸なシナリオとしては、途中で挫折し、「どこがおもしろいのだろう」とネタバレを踏んでしまうこと。その瞬間に、感じられたはずのおもしろさが消失してしまいます。


とはいえ、そこは押しも押されもせぬ人気作家。前提として挙げた「伊坂幸太郎といえば伏線」と知らない人が、そんなにはいないだろうという思いもあります。
その「自信」はあらすじやオビからもうかがうことができます。仮にこれが無名の作家の著作であれば、「◯ページまでは読んで!」のような宣伝文がくっついてくるでしょうから。
つまり、「村上春樹っぽい文体」と評されていた伊坂幸太郎が、およそ20年の時を経て、その名前だけで物語を読んでもらえる作家になったのだといえます。
その極地に到達した過程を考えたときに、やはり風呂敷テクニックが大きな役割を果たしているといえますし、伊坂幸太郎という大きな風呂敷はもっと広げていってほしいな、と思います。

4.『ホワイトラビット』まとめ

読書会にしてはあまりにも短く消化不良ですが、ブログとして読むならこれくらいが良いでしょう。
「徹底解説」と銘打ちつつ、文体や構造の話をして、内容には一切触れませんでした。
それは、「読めばわかる」からに他なりません。
時間をあけて少しずつ読み進めたら混乱するかもしれませんが、全編通して読めば、内容に関して疑問に思うところはないはずです。


解説と銘打ったブログを読むくらいなら、もう一度読んで自分で発見したほうがよほど楽しいですよね。
『ホワイトラビット』はこのうえなくまどろっこしいですが、難しくはありません。
おまけに、最初から最後まで作者に掌握されているため、読者それぞれの解釈みたいなものが存在しません。たったひとつの、それも「読めばわかる」読み方しかありません。


ここまで書いてようやく気づきました。
なんと「読書会には不向きな小説」なのだろうと。1年大学に留まらなくて良かった。
というわけで、「最後の読書会」はこれにて閉幕です。


せっかく「最後の読書会」が終わるところなのだから、気の利いたセリフで締めてもいいように感じるが、もちろん私はそんなことをせず、実際のところ、そうならなくとも幕はおりる。




そして、また上がる。

4冊目:恩田陸『ドミノ』

ドミノ (角川文庫)

ドミノ (角川文庫)

  • 作者:恩田 陸
  • 発売日: 2004/01/23
  • メディア: 文庫

紹介

1億円の契約書を待つ締め切り直前のオフィス、下剤を盛られた子役、別れを画策する青年実業家、待ち合わせ場所に行き着けない老人、警察のOBたち、それに……。真夏の東京駅、28人の登場人物はそれぞれに、何かが起きるのを待っていた。迫りくるタイムリミット、もつれあう人々、見知らぬ者どうしがすれ違うその一瞬、運命のドミノが倒れてゆく!抱腹絶倒、スピード感溢れるパニックコメディの大傑作!!


上は角川文庫版のあらすじですが、ここまで魅力的な紹介文はないでしょう。
「28人の登場人物」が出てくるらしいのに、文庫本換算で400ページ弱。単純計算でも1人あたりの出番は15ページにも満たないのです。
次から次へと流れて消えていくようにも思えますが、そんなことはありません。
多少の差はあれど、最初から最後まで、全員が動き回っているのです。
こんなこと、ありえますか?


タイトルの『ドミノ』は、作品そのものを的確に表現しています。
これはネタバレにならないと思いますが、本作にドミノそのものは出てきません。
なのでドミノ小説(そんなものがあるのか知りませんが)だと思っている方には、残念ですが。


ほとんどの人がわかると思いますし、説明するまでもないですが、ドミノは構造を表しています。無論、群像小説のことです。
以前にも書きましたが、群像小説であると明かすことは、ネタバレにあたりません。
一見バラバラの物語がつながるとわかったうえで、そのつながるさまを楽しむものですから。


登場人物はドミノの駒に過ぎません。
「前の人に倒されて次の人を倒す」、より物語的な言い方をするならば、「他者の影響を受けて起こした行動が別の他者に影響を与える」になるでしょうか。
彼らが倒れていくさまは、俯瞰できる読書と作者にしかわかりません。当然、倒れたあとにできる模様に気づくのも私たちだけです。


28人も登場するとなると、いちいち前に戻って話を確認したくなるかと思います。
しかし、それは本作においては野暮です。
前の話を憶えていなくても、なんとかなります。
曖昧な記憶を頼りにページをめくっていくほうが、より本作を楽しめます。
なによりも大事なのは、スピードです。
ほら、ドミノだって倒れていくうちに、スピードが増していきますよね。勢いがないと、次の駒が倒れない可能性もあります。


まあ、そういうことです。
一気読みを推奨します。

次回予告

ドミノin上海

ドミノin上海

  • 作者:恩田 陸
  • 発売日: 2020/02/04
  • メディア: 単行本

解説

※※以下、ネタバレを含みます※※

ここまで「群像小説として」綺麗に書かれた作品を前にすると、解説することは何もありません。
例えば、群像小説ではあるけれどそれ以外に主眼が置かれている作品の場合は、作中では明記されないつながりがあるので、そこを掘り下げることができます。
ところが、『ドミノ』は完全に『ドミノ』として完結しています。
つながるところは作中で全部教えてくれますし、謎も残りません。
最後のライターは謎とはいえませんし。


ああ、ライターがあった。
せっかくなのでこじつけで解説します。
作中のライターは起爆装置です。都内に仕掛けられた爆弾が、一斉に爆発します。
東京駅でのすったもんだは一件落着でしたが、このライターが新しい火種になるかもね、という結末です。次のように締めくくられます。

それはまた別のドミノの話であり、これから倒されるかもしれない別の一片のピースに過ぎない。(P.376)

今さらですけど、ドミノって駒じゃなくてピースなんですね。
それはさておき、ドミノを倒すことができるのは誰かといえば、作者ただひとりです。
作者はwriterです。
そう、ライター。
起爆装置のライターは、ドミノの最初の「ピース」を倒した張本人である、作者に掛かっているのではないでしょうか。


作品の完成度が高すぎて、これくらいしか書くことがないです。
あと、P.212の「誰もが誰かを捜していた」は、非常に群像的で好きですね。
P.358の「将棋倒しは怖いよねえ」も、わざと「将棋倒し」にしたことが透けて見えて好きですね。
その他にも、いたるところでコメディ仕立てに演出する仕掛けがなされているので、肩の力を抜いて読めますよね。
わざとらしく大仰な「である」調もその役割を果たしています。吉田修一横道世之介』と同じです。


登場人物の登場スパンなどを分析してもおもしろいのかな、とも思いますが、このスピード感は計算というよりも理屈抜きのような気がするのです。


そろそろ『ドミノin上海』を読みたいので、このへんで。

2020年4月24日の伊坂幸太郎『逆ソクラテス』

逆ソクラテス

逆ソクラテス


伊坂幸太郎さんの最新刊、『逆ソクラテス』を読んで感じたことを書きます。
ストーリーの根幹に触れることはありませんが、せっかくなので読んだうえでブログを読んでほしいです。
同じことを感じる人が、絶対いると思うので。


まずは所感から。
前提として、私は伊坂幸太郎さんが書く作品を愛している。極端な話だが、「伊坂幸太郎」名義で世に出た作品であれば、それだけで基準値を大幅に上回る好きが溢れる。そのうえで、さらに好きな作品や、そこまでハマらなかった作品などに、分類される。


『逆ソクラテス』は、残念ながら「そこまでハマらなかった作品」に分類した。
いちばん大きな理由は、過度に楽しみにしすぎていたことだと自覚している。
昨年末、『このミステリーがすごい! 2020年版』の名物企画、「私の隠し玉」にて、短編集が刊行されることが明かされた。
年明けにはタイトル、装幀、収録作品と徐々に全容が見えてきて、期待は膨らむばかりだった。膨らませすぎた。


ただ、若干の危惧もあった。
それは短編集であるという点だ。
もちろん短編もおもしろいが(考えてみれば、デビュー15周年時の『ジャイロスコープ』も短編集だった)、短編集は1冊の枠組みの中に比較対象を作ってしまう。
いちばん好きな一編があるとすれば、2番手、3番手と自然にランキングができる。
すると何が起きるのかといえば、よほど1番手が飛び抜けていない限り(あるいは全体的に平均以上でない限り)、1冊で均したときに偏差値50に落ち着いてしまう。


『逆ソクラテス』に関しては、当然のように全編のクオリティが高く、すべてに共通した「逆転の発想/逆転劇」はとても気持ち良いものだった。
それでも一抹の物足りなさを感じてしまったのは、むしろ短編としてのクオリティが高すぎたからなのかもしれない。


『逆ソクラテス』としての所感はそんなところだ。
以下に、それぞれの短編の好きなポイントを挙げる。


「逆ソクラテス……風呂敷を広げて広げて、広げきったところで畳んでいく、短編ならではのスピード感。ターボエンジンみたいな作品で、『逆ソクラテス』の始まりにふさわしい。


「スロウではない」……リレーのシーンが最高。逆転劇の中ではいちばん気持ちよかった。そのぶん、終盤の展開にもやが残る感じはあった。後味があまりよくない余韻は、以降への架け橋となっている。


「非オプティマス」……ここから書き下ろし。連作風にするのかと思っていたが、あくまで独立した短編。これはラストの余韻がいい。どちらにも想像できる。


「アンスポーツマンライク」……いちばん好き。完成度がすごい。最後のリフレインがずるい。この5人の話はもっと膨らみそうだし読みたいけれど、時間の飛ばし方的に難しいか。


「逆ワシントン」……これは台詞回しが好き。ただ、短編として見ると、『逆ソクラテス』のラストを飾る作品にはなりきれていない気がした。


以上です。
全編に共通しているのは、明確な否定をしないこと。どれも教訓が含まれているが、それが厚かましくなくて、「私はこう思うよ」くらいの距離感に終始しているのが良かった。


ここからは大いに脱線する。
伊坂幸太郎は仙台在住の作家で、東日本大震災の被災者になる。当時のことは『仙台ぐらし』などで詳しく書かれている。

三月、あの地震があって以降、僕はしばらく、小説が読めなかった。(中略)娯楽とは、不安な生活の中ではまったく意味をなさないのだな、とつくづく分かった。だから、これからいったいどういう小説を書くべきか、という悩み以前に、もう、小説を書くこともできないだろうな、とそういう気持ちにもなった。
とはいえ、それから二ヶ月以上が経ち、僕は小説を書いている。(中略)
震災後の情報で、「知っておいて良かった」と癒されたものはほとんどなかった。(中略)それならば、小説を読んでいたほうがよほど豊かな気持ちになれたのではないか。開き直りではあるけれど、フィクションにも価値はあるのかもしれない、とその頃から少し思うようになった。(伊坂幸太郎『仙台ぐらし』「震災のこと」pp.179~180)

2011年3月11日14時46分、伊坂幸太郎は行きつけの喫茶店で小説を書いていたという。まさにその瞬間に小説を書いていた事実が、2ヶ月もの間、伊坂幸太郎を悩ませた原因であるのかもしれない。
「震災のこと」は、「僕は、楽しい話を書きたい」と結ばれる。


そして、伊坂幸太郎の「以後」第一作となったのが、2011年11月から翌年12月まで朝日新聞夕刊に連載された、『ガソリン生活』だ。『ガソリン生活』は、車たちが会話をするという、底抜けに明るい、「楽しい話」だ。そこに震災の影はない。
また、阿部和重との合作で2014年に刊行された『キャプテンサンダーボルト』でも震災は描かれない。物語は2012年8月27日から始まり、2014年6月3日で終わる。舞台は仙台と山形、及びその中心にある蔵王
にも関わらず、だ。
『キャプテンサンダーボルト』の文庫化に際して行われた両者のインタビュー記事を引用する。

伊坂 最初の打ち合わせの時に「震災の話はどうします?」って、編集者が聞いてくれたんですけど、二人とも「入れるのはやめよう」とすぐに決めたんですよね。僕らの作品の場合はないほうが逆に、伝わる気もするんですよね。
阿部 震災に関しては直接触れていないですけども、できあがった作品を改めて見てみると、震災と結び付いていく要素が実はたくさんあるんじゃないかなという気もしているんです。例えば、放射能って目に見えないじゃないですか。つまり我々は、基本的には情報として触れるしかない放射能に右往左往させられてきた。それはこの作品に出てくる「村上ウイルス」の影響と似ている。情報に怯え、情報に翻弄される登場人物たちの状況そのものが、震災以降の社会の雰囲気を直接反映していた面があるのかもしれないなと、今になって感じるところはありますね。

ddnavi.com


震災を描かないことで、震災を立ちのぼらせる。この手法は、阿部和重が戦争そのものを描かずに戦後を書いたやり方にも似ている。両者はけっして震災から目を背けたわけではなく、我々の深層に棲みつく震災を我々自身の読みによって、見つめ直させようとした。


それからさらに時が経ち、伊坂作品にはじめて震災の記述が出てきたのは、『フーガはユーガ』(2018年)だった。
今、手元にないので確認できないが、記述があったことは憶えている。


話は『逆ソクラテス』に戻る。
発売日の2020年4月24日を数年後に振り返ったとき、我々は「コロナ禍の真っ只中」だったと認識することだろう。2020年の上半期、最悪の場合、2020年そのものを、そう認識している可能性もある。
震災とは異なり、ある日を境に劇的に世界が変わる感覚はない。それでも、徐々に世界は変容し続けている。


表題作の「逆ソクラテス」にこんな一節がある。

先入観を、と僕は念じていた。そのバットで吹き飛ばしてほしい、と。
伊坂幸太郎『逆ソクラテス』「逆ソクラテス」p.56)

『逆ソクラテス』は、残念ながら「そこまでハマらなかった作品」に分類した、と書いた。
そうだ。私は心のどこかで期待していたのだ。
『逆ソクラテス』が、いろいろな悩みや不安を吹き飛ばしてくれるのではないか、このどうしようもない世界をひっくり返してくれるのではないか、と。


残念ながら、特にこれから読む人にとっては残念だろうが、『逆ソクラテス』を読んでも、このどうしようもない世界はひっくり返ってくれない。
だけど、自分を中心に回るちっぽけな世界は、自分次第でひっくり返すことができる。
単行本のオビには「世界をひっくり返せ!」と書いてある。そう、ひっくり返すのは自分だ。
『逆ソクラテス』は、そういう勇気をくれる作品が集まっている、最高の短編集だ。

3冊目:有川浩『阪急電車』

阪急電車 (幻冬舎文庫)

阪急電車 (幻冬舎文庫)

  • 作者:有川 浩
  • 発売日: 2010/08/05
  • メディア: 文庫

紹介

隣に座った女性は、よく行く図書館で見かけるあの人だった……。片道わずか15分のローカル線で起きる小さな奇跡の数々。乗り合わせただけの乗客の人生が少しずつ交差し、やがて希望の物語が紡がれる。恋の始まり、別れの兆し、途中下車――人数分のドラマを乗せた電車はどこまでもは続かない線路を走っていく。ほっこり胸キュンの傑作長篇小説。


お待たせしました。
群像小説の魅力をたっぷり詰め込んだ、有川浩阪急電車』の到着です。危ないので黄色い線の内側までお下がりください。


なんとなく、本当になんとなくですが、この記事は過去最高のアクセス数を更新すると思っています。
というのも、読書メーターに感想(半分くらいこの記事の宣伝です)を投稿したところ、ナイス(いいね)が次から次へと。
それもそのはずで、「読んだ本」に登録された方が64,000人もいるらしく。この数字はえげつないです。


なので、いつも以上に気合いを入れて書きたいと思います。
よろしくお願いします。


さて、そんな大人気の『阪急電車』ですが、群像小説として認識している方はどのくらいいるでしょうか。
かくいう私も初読時は「恋愛小説」、もっと細分化するなら「胸キュン小説」として読みました。
もちろんストーリーとしては恋愛、胸キュンに分類されます。可愛らしい勧善懲悪の物語で、何度も読み返すくらい大好きです。
ストーリーについては、後ほど「解説」でも触れます。


構造に目を向けると、雷雨型の群像小説となっています。
(雷雨型については、「0冊目:群像小説ぜんぶ読む」を参照のこと)
overshow.hatenablog.com

雷雨型は群像小説の中で最も読みやすく、ビギナー向けなのですが、作品数が少ないのが難点です。
その点、『阪急電車』には群像小説の魅力がすべて詰まっています。


群像小説のことがよくわからない方向けに、簡単に説明します。
好きな登場人物はいますか?
はえっちゃんが好きです。
他にも魅力的なキャラクターがたくさん出てきますよね。


では、主人公は誰でしょうか?
それぞれの短編には語り手がいて、語り手がそのまま主人公といえます。
しかし、『阪急電車』という1冊にまとまったとき、主人公は果たして誰なのでしょうか?


主人公をひとりに特定できない。
これが群像小説の特徴です。
いちおう答え合わせをしておきますね。

そしてこの物語は、そんな阪急電車各線の中でも全国的知名度が低いであろう今津線を主人公とした物語である。(まえがき)

阪急電車』の主人公は、阪急電車今津線)です。
そう考えると、『桃太郎』みたいなネーミングです。
こんなフレーズもあります。

その一人一人がどんな思いを持っているか、それは歩いていく本人たちしか知らない。(P.116)

人数分の物語を乗せて、電車はどこまでもは続かない線路を走っていく。(P.130)

これも群像小説の特徴です。
登場人物の物語を把握できるのは、登場人物自身と私たち(読者と作者)だけ。AさんがBさんの物語に影響を及ぼすことはあっても、AさんはBさんの物語の全容は知らないのです。


どうですか?
群像小説、おもしろいですよね。
今後もどんどん紹介していくので、是非チェックしてみてください。

次回予告

・4冊目:恩田陸『ドミノ』

ドミノ (角川文庫)

ドミノ (角川文庫)

  • 作者:恩田 陸
  • 発売日: 2004/01/23
  • メディア: 文庫

・5冊目:恩田陸『ドミノin上海』

ドミノin上海

ドミノin上海

  • 作者:恩田 陸
  • 発売日: 2020/02/04
  • メディア: 単行本

解説

※※以下、ネタバレを含みます※※

阪急電車』が群像小説として最も優れている点は、「折り返し」と「再登場までの間合い」、これに尽きます。


西宮北口方面行きから順番に見ていきます。
各編の横の名前は語り手(主人公)です。


宝塚駅…征志
1編目にふさわしい余韻です。この余韻が「逆瀬川駅」につながります。

・宝塚南口駅…翔子
すぐに「宝塚駅」のふたりの会話を出すことで、同じ電車内での話だとわかります。

逆瀬川駅…時江
ここで「宝塚駅」の2人を再登場させて、「その後」を描くのは群像小説のテクニック。

・小林駅…翔子
時江に唆されて降りた翔子。回想シーン以外で町の様子を描いているのはここだけで、各編から独立した印象を受けます。翔子のひとりで生きていく決意ともリンクしますね。

仁川駅…ミサ
新キャラのようですが、「逆瀬川駅」で登場済み。翔子の話を繰り返すことで、電車内が「逆瀬川駅」と地続きであることがわかります。

・甲東園駅…ミサ(えっちゃん)
ここはイレギュラーですが、ミサの視点が続きます。ただ、ミサを通して語られるえっちゃんの物語でもあります。ここをえっちゃん自身の語りにせずに、理想的な野次馬役のミサを通したことで、読者もえっちゃんの話に興味を持ちます。

門戸厄神駅…圭一
えっちゃんたちと同じ車両にいることはわかりますが、独立した一編です。完全にふたりだけの世界ができあがっています。お幸せに。

西宮北口駅…翔子、ミサ、圭一
ひとまずのクライマックス。


ここで阪急電車は折り返します。
通常、折り返す車両にそのまま乗り続けることはありません。
彼らの物語をここで置き去りにして、折り返しの電車では別の登場人物の物語を描くことも可能でした。
しかし、半年時間を飛ばすという、シンプルかつ巧みな方法で、彼らの再登場を可能にしたのです。


西宮北口駅…ミサ
別の登場人物の物語が始まるものだと思っていたので、ここでミサが出てきたときは感動しました。

門戸厄神駅…伊藤康江
西宮北口駅」から引き続いての登場。悪役のひとりだったイトーさんのバックボーンを描くことで、グループの面々との差別化をはかります。

・甲東園駅…悦子
ついに来ました。えっちゃん視点。電車内の話はほぼありませんが、前半の「甲東園駅」でえっちゃんが初登場したことを踏まえると、ここに配置するのは必然といえます。

仁川駅…圭一
ふたりだけの世界その2。お幸せに。

・小林駅…翔子
「小林駅」といえば、翔子は欠かせません。ここで「西宮北口駅」のキャリアウーマンが翔子だったと明かされます。このつながりは気持ちいいですよね。

逆瀬川駅…時江
前半の「逆瀬川駅」では翔子の引き立て役に徹していた時江の物語。ですが、やはり最後には主役を征志たちに譲ります。

・宝塚南口駅、宝塚駅…征志
思えば、征志の片思いから、『阪急電車』は走り始めました。ここに戻ってこなければいけません。


というように、各編の「群像小説としての役割」を書き出してみました。
始まりと終わりだけを見れば、征志が主人公に最も近い存在だといえます。
しかし、「人数分の物語」を読んだ方であれば、そうとも言い切れないと思うのではないでしょうか。


阪急電車』はビギナー向けの群像小説と書きました。
というのも、他の群像小説には、作中で明示されないつながりがあるのです。

もちろん、それに気づかなくてもストーリーとしての不都合はありません。
だけど、だからこそ、隠れたつながりを発見することが、群像小説の楽しみ方だと思うのです。

番外編:伊坂幸太郎棚


いちばん好きな作家、伊坂幸太郎さん。
読むのはもちろん、考察するのも楽しい作品たち。
高校の卒論、大学のレポート、サークルの読書会、そしてブログ…とてもお世話になっています。

何冊か不足しているのは、たぶん貸しているはず。

4月24日発売の新刊『逆ソクラテス』を早く飾りたいですね。

番外編:群像小説棚を初公開

引っ越しを機に、群像小説棚を新設。

・借りている本、貸している本
・単行本
伊坂幸太郎作品
・「群像小説ぜんぶ読む3冊目」予定の、有川浩阪急電車

を除く。
伊坂棚は別に作るので、完成したらまた公開します。